昭和54年02月05日 朝の御理解
御理解 第4節
『此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようになった。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言うことにそむかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折には、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、おかげを授けてやる。』
これは、映画を見るとか、お芝居を見てから思いますことは、何と言うても、原作が良くなからなければならないということ。それから次が、演技者がいわゆる上手い人、上手な人でなからにゃいけないということ。どんなに原作が素晴らしかっても、その演技者がつまらんかったら、せっかくの原作も崩れてしまう。どんなに演技者が、例えば素晴らしかっても、原作そのものが良くなかったら、やっぱりつまりません。と言う様な意味合いで私どもは、「金光大神」という素晴らしい原作者。
それを私共が、私どもの演技力によって、何を現すかというと、いうならば「天地金乃神様のお心を現す」ということになるのじゃないでしょうか。ね。いわゆる「神を現す」とこういう。ね。ただお金儲けの神様であってもならないし、病気治しだけの神様であっても、災難避けの神様だけであってはならない。そうだとやはり、何か専門の神様のようになってくる。ね。
ほんとに天地の親神様のお心を分からしてもらい、そして、天地の親神様の働きがこういうものだと、現せれるということ。そのためにはいよいよその原作を、本気で自分のものにしなければならない。そして演技力である。私はそういう意味で、合楽理念は、その金光大神の上に現れる、天地金乃神の、神様の働きをあらゆる角度から現し得る、現し良いように、しかも有り難う、楽しゅう現していけれる表現力というか、教えてあるというふうに思うのです。
昨日は、神愛会でしたから、先生方みんな集まっていろいろ共励をさしてもらい、ひとりひとりお話を頂かしてもらったんですけれども。日向教会の滝口先生が発表しておられましたが、「もう最近は、信心がもう有り難い、もうほんとに楽しい、しかも夫婦でそれができるようになったということは、もうこんな有り難いことはない」というもう、まぁというて、たくさんの信者が参ってくる、とか助かるとかということでもないけれども、信心そのものが有り難うなってきたと。
という話をしておられましたが。もうそういう信心が身に付いて行く限り、おかげは間違いない。もう第一、もうとにかく教会自体が変わってきた。家内が変わって、私が変わって、その何と言うておられましたですかね。いわゆる「教会の体質改善ができた」と言っておられます。もう全然違った。まぁいうならば、合楽に縁を頂かれたために、いわゆる村八分的に他所の教会とのお付き合いはなくなったけれども、そげなだんじゃない。教会の体質改善ができた。
私が変わったら家内が変わった。子供達も変わった。子供達の成績まで向上してきた。ね。そしてこれは先日の四・五日前の手紙、皆さんにも聞いて頂きましたようにね、もうとにかく、まぁそういう信心に、まぁいうならば、必要なものが必要に応じて頂けておれれる、おりますということは、この前の手紙に書いておられた通りであった。もうそれを、もういかに楽しそうに、嬉しゅうしてこたえんというふうで話されました。もう信心というものがこんなに有り難いものだと。
長年の信心さして頂いて、もうとにかく深刻な、憂うつな教会だったことをまあ、お話を聞きながら、以前の日向教会を聞いておりましたが、もう最近はそうではなくて、楽しゅうなってきた。ね。というまぁ発表をしておられました。熊本の植木教会の山田先生が発表して、もうこの人の、いつも司会を西岡先生が致しておりましたが、「もう健康管理は、合楽理念をもってする他はない」山田先生のお話を聞くといつもそうなんですが、「最近の健康管理はどうですか」と言うてから質問しておりましたが。
もう本当に開口一番から感動するような、もう本当に自分の体を通してからの話をしておりました。まだ山田先生自身も実は知らないんですよね。自分のほんとの病気ということは。だからもう、病院の方では不思議で不思議でたまらんのですよ。だから、いつも呼び出しが来てから、その病状を調べるわけです。ところがその、調べる度んにその、良くなっておるので、「とにかく不思議だ不思議だ」てこういうわけなんです。
第一血液がこんな正常に、こんなに綺麗な血に大体なる筈はないのに、もういうならば、真っ赤な澄みきった血だということなんです。そして、あなたは薬を全然飲まれないでその、「ははぁ私はもう神様から与えられたお食物だけで」「その食物だけが薬っちゅうことがまた不思議でたまらん」という、その医者が言うそうですね。うん。もうですから、もうとにかく、この健康であるということが有り難い。ですから、参ってくる信者もやっぱりそういうその、体の悪いような人達が多い。
まあとにかく、ご信者が戸を開けて、ガラッと入ってこられる時に、もうすぐ自分の体の上にお知らせを頂く。これは以前、私が椛目時代の始めの頃、そういうひとつの傾向というものがあったですね。もうほんの一時でしたけれども。胃の悪い人がお願いに来ると胃が痛む。ね。頭の悪い人が来ると頭がこう痛い、と言った様な症状がありましたんですが。そういうような感じでおかげを頂いておる。
もうですからもうとにかく、お便所に入らせて頂いて、もうそのいわゆる快便のおかげを頂くと、もう涙なしにはおられない、泣いてお礼を申します。出てくる時も、その扉に向かってお礼を申し上げると涙がこぼれる、と言ってるんです。もうほんのこれだけは、もう私でん適わんというてから、まあ山田先生と話したことでしたけれどね。体を通して神様をそのように現しておる。
でまあ最後に申しましたことですけれども、とにかく「健康管理だけは合楽理念をもってする他はない」という体験を、だからその、体を通して、その応用問題がね、いうなら「経済の問題であろうが、人間関係の問題であろうがね、その原理はひとつなのだから、山田先生、あんたの信心が、もういっちょ合楽理念をもって、ならする他はない。それを自分の健康管理のことだけに止めずに、範囲を広げていかなければ、おかげの方も広がっていかんね」というて話したことです。ね。
もう間違いなく、天地金乃神様をそのように現しておる。桜井先生もいろいろ、まぁほんとに、もうほんとに司会が申しておりましたが、桜井先生の話を聞いて「こんなに感動したことはなかった」と言う様な発表をしておられましたが、最後に「とにかく、今日の」昨日の朝の御理解ですね。「この神様は情念の神だとこう言われる。先日からテレビを見せて頂いとりましたら」というて話しておられましたが。ね。
百歳になる何かやっぱり文学者だそうです。のおじいさんが「長生きをしたいなら恋をせよ」という話をしておられた。心がいつも生き生きと弾んでおる。ね。百歳になるおじいさんがね、「長生きをしたいなら恋をせよ」っちゅう。「ただ今三十五人目の恋人を持っておる」という話をされたということでございます。ね。そのことと、昨日の朝の御理解の「この神様は情念の神様だ」ということを結びながらのお話でした。
そのことを聞きながら、ははぁそういえば泉尾の三宅先生も「この神様は恋神だ」と言われます。ね。そこにいうならば、こちらの情念と神様の情念が燃えてくる。そこに合楽の世界があるんだと。例えば恋神だと現し、情念の神としていわば、私は現し、泉尾の先生はそのように現しておられるわけなんです。今日はね、この御理解4節の解説ではなくて、ね、今日はこの中に含まれておるもの。言葉には出ていないもの。ね。
「神からも、氏子からも双方からの恩人は、此方金光大神である。」と言う様な表現こそ、もうこれは情念の神でなからなければ、こういう表現はできない。神様が人間、いうなら金光大神をです、ね、恩人だと。金光大神の信心によって、おかげを受けられたのは、金光大神のおかげだと。神からもまた恩人だとこういう。ね。そういう情を使われる神様だということ。
だから私どもは、そういう神様を現して行く。ね。そこに例えば、若先生が学院に修行中に手紙をよこしてました、手紙の中に、ただ今奥城に、それこそ掟を破って、夜な夜な御祈念に出るわけです。ね。夜な夜なもうそれこそ、掟を破ってでも通わなければおられない、ただ今、いうならば金光大神とでしたか、神様と恋愛中だと言う様な表現で言ってきておりました。
もう暗いとか怖いとか、行ってはならないから行かん、と言った様な事では抑えられないほどしの念というものがです、神様と交流する、そこからいわゆる生みなされてくるところの信心。それを私は「合楽世界」だと思うです。ね。だから、合楽理念を例えば、なら山田先生に昨日申しましたように、あんたが健康管理だけは合楽理念をもって、誰でも勝たんほどしのものを、だからその応用問題をね。
それが経済の面でも人間関係の面でも、人間のあらゆる難儀も、その合楽理念をもってする他はないというほどしのおかげを頂いた時が、ほんとに天地金乃神様を現した時だ。「はあ、この神様は、病気だけはどげな病気でも治してやりなさるばってん、経済問題はダメばいの」ちゅう神様じゃないということだ。ね。だから原理は一つ、助かりの原理は。ね。だから、それをマスターすることによって、あらゆる問題に、いうならあらゆる難儀にそれを応用する。
そこに難儀は難儀でない、それこそ滝口先生じゃないけれども、現在、とにかくまぁ結構なおかげを受けておるというわけじゃないけれども、ね、とにかく信心が楽しゅうなって有り難うなって、しかも私だけではなくて、夫婦で「信心ちゃ有り難いものだ」ということになってきた。ね。そういう、いうならば、情念がだんだん育ってきて、神様へ向かうその心というものが、ね、それこそ生き生きとして瑞々しいまでに、神様に接していかれておる姿なんです。ね。
例えば、ね、寒修行が終わった。だからもう「やれやれ」というのではなくて、ね、やはり、もういうなら行かんでもよいけれども、行かずにはおれない。それが今日の皆さんの信心だと、まぁ思います。ね。だから、それを育てて行くことだということです。ね。あれは昨日、佐田先生が発表しておりましたね。あれは何とか言ったの、あっ心構えということ言って、ね、もう素晴らしいですね。信心には、絶対心掛け、心構えがいるんだ。ね。構えがいるんだ。
それをね、先生は、心が前進の前ですよ。「心が前だ」とこう言ってる。今までは頭が前であった。だから理屈が多かった。ね。じゃなくて心が先に、心が前だということ。「心を前にすることが心構えだ」という発表をしておりましたね。私はそれを聞いて素晴らしいと思った。ね。光昭があの、気付くということは、ね、自分の信心に「ああ、こんなことじゃおかげ頂けん」という気付いたら、それを改めて行くことが築くことだと。信心の徳を力を築いていくことだというそれとよく似ておりますね。
確かにそういう頂き方、そういう気付き方、そういう、いわゆる心構え。それは心が前。ね。それこそ便所に入らせて頂くでもです、もう心が前に出とりますから、拝まずにはおられない、願わずにはおられない。お礼を申さずにはおられないと言う様な信心が、いうなら目細うできるわけなんです。ね。「長生きをしたいなら恋をせよ」いうならば、恋人の、いうならば姿というものが、もうそれこそ、ね。
「思い出すよじゃ惚れよが薄い、思い出さずに忘れずに。」というように、自分の心の中に、いつも痛いほどにずっと頂き続けておる。この念が生まれてくる。この念が神様と通う。ね。そこから生みなされてくる、いうならば「合楽の世界」ね。そこから生みなされてくる信心。そこに私は、天地金乃神様を、ほんとうの意味で現すということができると思うんです。ね。
自分のお願いしたことだけが、思うようになったことが、おかげと言った様なものではない。そのためには、まず信心が、それこそ、滝口先生じゃないけれども、嬉しゅうなり楽しゅうならにゃいかん。しかも夫婦揃うて。ね。それから神様へ、いうなら、交流するもの。そこから生みなされてくるおかげ。そのおかげというのは、もうそれこそ「商売は合楽理念をもってする他はない。
百姓は合楽理念をもってする他はない。健康管理は合楽理念をもってする他はない。」そのすべての念、全てのものが、その情念の交流からです、頂けてくる。今日は、御理解4節の、いうならばその中身、ね、をまあ聞いて頂いたつもりです。いうならば、「天地金乃神からも氏子からも双方からの恩人」と称えられ、言われ頼られておられる金光大神の信心をです、ね、いわゆる合楽理念にまとめて。
そしてそれを楽しゅう有り難く行じていけれる手立てが合楽理念だ。ね。始めてそれを私どもが現した時に、双方からの恩人金光大神を現したことになり、そこにはその、いうならば、天地金乃神様を、ね、十分に現すことができる。素晴らしい原作、素晴らしい演技者。ね。そこに原作が生きてくるおかげ。金光大神が、天地金乃神様が生き生きと躍り出てきなさるような信心を身に付けていきたいと思うですね。それにはまずは、心が前が大事だということ。
どうぞ。